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■ 生涯独身を貫いた津田梅子

津田塾大学の創立者津田梅子も、1929年に64歳で亡くなるまで生涯独身を貫いた女性でした。
津田梅子には生涯のなかで、運命的なかずかずの出会いがありますが
生涯人生の伴侶となる男性との出会いがないまま、その人生を終えています。

大きな船

津田梅子の最初の運命的な出会いは、6歳の時でした。
明治政府の事業だった北海道開拓使の嘱託となった旧幕臣の父親が
開拓使次官の黒田清隆が企画した女子留学生に梅子を応募させたのです。
この時5人の女性がアメリカへ渡るのですが、津田梅子は最年少の満6歳だったというから驚きです。
開拓使次官の黒田清隆は女子教育に関心を持っていた人物でもし
黒田清隆との出会いがなければ、その後の津田梅子の人生は大きく変わっていたでしょう。

感心するのは津田梅子の父親仙です。
わずか6歳の自分の娘を、船でアメリカへ渡らせたのです。
普通は考えられないことです。
今の時代でも6歳の娘を一人で、アメリカまで旅行させる親はいないと思います。
津田梅子は1882年に日本へ帰国まで、11年間もアメリカで生活しています。
日本へ帰国した津田梅子でしたが、
幼少からの長いアメリカ生活で日本語はむしろ通訳が必要なほど忘れていました。

次に訪れた運命的な出会いは、伊藤博文との出会いでした。
伊藤博文が紹介した下田歌子との出会いが後に
「女子英学塾」(今の津田塾大学)を開設するきっかけになるからです。
当時下田歌子は、華族子女を対象にした教育を行う私塾「桃夭女塾」を開設していました。

2015.05.29

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